蜜のあはれ 室生屑星
著者: 室生 犀星
タイトル: 蜜のあわれ・われはうたえどもやぶれかぶれ
人を好きになったときの気持を言葉で表すのは、きっと、相手を好きであればあるほど難しい。しかし、それをいざ表現するときは一言におさまってしまうと思います。
「好き」という気持が忠実に素敵に切実に表現されている文章をみつけました。
「人が好きになるということは愉しいことのなかでも、一等愉しいことでございます。人が人を好きになることほど、うれしいという言葉が突きとめられることがございません、好きという扉を何枚ひらいて行っても、それは好きでつくり上げられている、お家のようなものなんです」
室生屑星の理想の“女ひと”の結晶を変幻自在の金魚と、老作家の会話からなる幻想的な一冊。
金魚扮する幻の女性がしゃべる言葉がにくたらしいほど艶やかで可愛らしく、それに翻弄されながらもそこにささやかな幸せを見出す作家の対話に室生作品ファンでなくともきっと虜になるはず
室生屑星の「蜜のあはれ」を読みおえたころから、玄関の金魚に目を奪われるように。
というのも、「蜜のあはれ」(「火の魚」も)金魚と深く関わっている小説だったからです。
室生屑星は、金魚の尾ひれの美しさなどを賞賛し、その賛辞は金魚のもつ官能美にまで及んでいます。「蜜のあはれ」の初版本の箱には金魚の魚拓が刷られ、その魚拓をとるまでの過程をストーリー化したものが「火の魚」というのだから、金魚への思い入れの深いこと。
魚拓をとるさい室生屑星が魚拓を依頼した女性につけた注文は
「先ずその姿勢が逞しく頭を下に向け、尾は天を蹴って鋭く裂けていなければならず、一体の炎は燃え切って蒼い海面のがらすを切り砕いてゆく降下上体を、鱗目もあざやかに紙の上に刷らなければ」
って・・なんて難しい注文をつけるのと思ったのですが、この写真の金魚の姿勢が、まさにそれに当てはまっていいることに感動し、思わず激写。