tomokoの読書感想文 -2ページ目

ファム

春の雪 三島由紀夫

三島 由紀夫
春の雪

上方 今と昔 山本為三郎

故・朝日ビール社長 山本為三郎氏の、関西の風土や文化についての随筆。

その他、伊藤忠、三井、三菱社長など経済人の素顔の記述があったりしてとても面白かったです。


私は、芦屋の甲南女子の方で10年間を過ごしたので、なかでも甲南高校を設立した平生氏についての記述は大変興味深く読めました。

平生氏の生家が裕福でなかったため、平生家の養子になり学校に通わせて貰った。

そのように、自分が勉強するのに苦労したから何とかして貧しい子弟にも勉強させてやりたい・・そういう思いから甲南高校を設立したとのこと。


しかし、今の甲南というのは地元では割と裕福な家の子が通う学校として有名・・。

平生氏の設立意図が少しずれてきているような気がし、複雑な気分になりました。


先ほど紹介した獅子文六の「食味歳時記」の「ハイカラな人逝く」という章で、山本氏のことを”日本人であれほど古酒美酒を貯えた人はいない・・・それらを酒の人に飲ませるのが愉しみだったらしい。そういうことをハイカラというのである。”と述べています。


随筆を読んで、当時の大者の”男気や粋”が伝わってくるようでした。



美人の日本語 山下景子

山下 景子
美人の日本語

昼寝覚、夢合わせ、春告草、麗、夢宵桜・・・・聞きなれない言葉だけれども美しい感じがする。


美しい言葉の日めくり本です。

優しいニュアンスを持つ言葉達を”読む”のではなくて”見る”。


それだけでも心洗われる気がします。

People Magazine

People Magazine
Oscar Style

ハリウッドスターのオスカーでのきらびやかな様子を収めた一冊。


50年代のG・ケリー、オードリーなどの姿も。


そして私の大好きなキャサリン・ゼタ・ジョーンズの姿も納められていました。


月並みな言葉ですが・・スターの晴れ舞台は華麗そのもの!

食味歳時記 獅子文六

獅子 文六
食味歳時記

文豪・獅子文六の食随筆。


ただの食随筆ではありません!


とくに面白いかったのは「名月とソバの会」という章。

まだ新進作家だった獅子文六が当時の文豪達の集まる「名月とソバ会」に呼ばれた際、佐藤春夫があつかましく一番にソバをとりにいった・・幸田露伴ら歳を召した作家らに先にゆずってあげればいいのに・・


など、文豪同士の交流の機微が描いてあります。


そして「神戸と私」という章も面白かった。

神戸に行く度、フロインドリーブやトアロードデリカッセンに必ず寄った。というよなことが書かれてます。


小気味良い、しかし人間味あふれる文章でした。


おどる12人のおひめさま グリム童話

ヤーコプ・ルートヴィッヒ・グリム, ヴィルヘルム・カール・グリム, エロール・ル・カイン
おどる12人のおひめさま―グリム童話

同僚にもらったグリム童話絵本。

エロール・ル・カインの絵は、妖艶でコミカルで美しいです。


ちょっぴり大人向けの絵本。

特にお姫様と王子様達の船乗りのシーン。



森瑤子

森つながりで(?)森瑤子さんの言葉。


女の美について。


誰だって どんな女だって、人目をひくことができるのだ。

緊張感をぎりぎりまで高めることによって。

神経をすみずみにまで細かくくばることによって。

森茉莉

森 茉莉
甘い蜜の部屋
森 茉莉
贅沢貧乏

森鴎外をエントリーしたことだし、それならば娘の茉莉さんの本も紹介しなくちゃ。


甘い蜜の部屋は、森茉莉自身が父鴎外を敬愛し、また鴎外からいかに溺愛されていたかがしのばれる一冊です。

食事や、服飾の描写がなまめかしくて高級感あふれています。



贅沢貧乏は、森茉莉のエッセイ。

チョコレートが好きだとか、かんずめはここのじゃなくちゃ・・だとか、石鹸はコレ・・などなど。

幼いころから良いものに囲まれてきたのであろう彼女の高級嗜好がかいま見れます。


なかに室生葛屑星との交流シーンがあり、私はその部分が一番好きです。

彼女と屑星は父 鴎外を通しての交流がさかんだったようです。


屑星の小説にも鴎外のことが出てきます。(杏っ子)

イタ・セクスアリス

森 鴎外
雁,ヰタセクスアリス 角川文庫 緑 3ー3

森鴎外のイタ・セクスアリスには、鴎外自身の人生観みたいなものが多分に見受けられます。

そのなかで結婚について「侍の娘は男の魂を見込んで嫁にいく」と書いてありました。



魂を見込んで・・・

良い言葉ですね。


肩書きやら、収入やら、顔かたちでなくて魂を見抜くなんて難しく聞こえるけれど、「ソウルメイト」だと思うともっとすぐに見抜けそうです。


まるで自分の片割れみたいな人=ソウルメイト。

恋人であり夫であり、親友であち兄弟であり・・・

その一人の人から自分とどれだけ感性の共有ができるのか?ということでしょうか?